mskzのブログ

2018.4.23に渡豪

シドニーの都会感

日本からアデレードに来た時は、正直微妙だなぁと思ったけどシドニーはやはり都会だった。アデレードは田舎らしい。アデレードに住むOGが教えてくれた。



シドニーの公園でセブンで買ったコーヒーを飲む。暇だ。宿戻っても皆金が無さすぎてタバコのたかりが凄まじいから、街へ繰り出した。





俺のこの生活は、日本からやってきた普通の人とは色々と違うだろうなぁ。ドラッグとか危なそうな人とかには、縁遠いと思うし。距離を詰めて仲良くなったら、楽しいんだけどな。マジでヤバそうな人には流石に引いちゃうけど。


大学からこれまでの生活を振り返ると、人を見る力を養ったと思う。かなり免疫はついたし、対応もできる。キチガイ話のストックめちゃあるし。

20歳くらいの時に、ある事情でドラッグディラーとよく遊んでいた。もちろん日本で。顔面に刺青のある、元パンクの男の人。40手前だったかな?

パンクの歳いった人ってかなりイかれてる人が多いと思う。以前tattooをお願いした彫り師さんも言ってた。ディラーの彼はなんだか常識がずれまくっていた。


子供が二人いて、嫁さんとの四人家族だったんだけど、子供の前で普通に鼻からスニッフしているし、嫁さんも何も言わんし、色々おかしかった。子供はかわいかったな。親父が元ヤクザだっけな?


ディールが生活の種だった。抗うつ剤からLSDの原液まで扱っていて、オススメの睡眠薬をもらってたりした。スニッフのしすぎで麻酔が効かないらしい。歌手のYUIと付き合いがあるとか言ってたけど、俺はドラッグによる妄想だと思っている。

合法ドラッグがテレビで取り上げられ出してから、疎遠になった。テレビに特集が組まれ出したあの頃、合法ドラッグは第五回目の成分規制が入った。

初代は、合成カンナビノイドといって、カンナビスのTHCを化学式にして作り出したものだった。トビも優秀で、ケミカル感が微妙なくらいで、コントロールも楽勝だった。第一弾から一年かな?欧米から輸入された新型のドラッグが蔓延してる、ってゆう小さい記事が出た。それからすぐ法改正。


そこから第三弾まではドラッグとして優秀だったが、そこらへんから新しい成分が入り出した。mao阻害薬だっけ?忘れたけど、周り内でちらほら吐血したとかいう人が出てきたっけ。


俺は第三弾くらいから、自ら買うことはしなくなった。危なすぎる。でも情報のない周りの若い子たちは、ガンガンやり出す。多分第三弾からやりだした子ら。

大分脱線したけど、そのディラーも合法だからとドンハマりしていたので距離を開けた。次第に会わなくなった。



俺はドラッグで死んだ人も普通に見てきたけど、日本の都心部は影が深いなと思う。栄えていれば栄えているほど、落ちる影も深い。

シドニーがどれほどの規模の都会なのかまだ全体像見えないけど、深そうだなと感じた。



合法ドラッグで思い出したけど、あの頃は謎のドラッグフィバーだった。ドラッグのヘッドショップが至る所に出来始め、合法的に輸入ができたので見たことも聞いたこともないドラッグが普通に売られていた。


その頃のクラブは、俺は人を見たら何をキメてるかわかる職業病?を会得していたのだが、普通の一般的なドラッグをしてない錯乱してる奴らで賑わっていた。

大体金の無さそうな若者が大半だった。おじさんも少数いたが、それは大体知り合いだった。


ゲートウェイ論法は海外では否定されているらしいけど、それはマトモな精神を残しているやつらだけで、大体ゲートウェイしちゃうと思う。賢い付き合い方が大事だ。俺は以前こっぴどく代償を払わされたので、距離をあけている。




とにかく、オーストラリアでは目的を見失うことなく行動しよう。そう今思った。

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